「誰が書いても同じコード」は大事なことなのか
http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20080325/1206421786


言葉だけの意味ならボクは「大事なことだ」と答える。


大手SIerにそれが実現できないのは方法がマズイから。

そこで出てきたのが、「誰が書いても同じコード」になることが重要で、
それを実現するために、ドキュメントをいっぱい書かなくてはいけないという話。
大手SIerは、大体同じことを考えていると思います。

見てきた中でこれ同意。

でも、「誰が書いても同じコード」にするってのは、そもそも無理だと思うんだよね。

だからこれも同意。


「設計」の範囲がどーのこーのと論議のタネになることは多いけれど、
プログラム作り大好きニンゲンの1人として言えることがある。


(,,゚Д゚)<ドキュメントで何とかしようとしているのはみんな要求定義の一部だ。
     システム開発の設計書はソースコードである。
     ってのが各工程の意義と管理の方向性を省みた時にしっくりくる。
     

メンテナンスに際して1人しかできない行為になるのはよろしくない。
標準化なくしてそれは成し得ない。
しかして標準化だけでも成し得ない。
技術者の教育は成しえるための1手ではある。
しかして経験の無い教育では成し得ることは無い。


システム開発の真っ当な進行に必要不可欠なのは技術力を伴った技術者であり、
プログラム大好きニンゲン達である。
これらはプログラムを効率的に生産しメンテナンスを施すために重要な要素であり、
重要な要素抜きにした話が真っ当な方向を向くかどうかは
考えるまでも無く運撫天撫の域を抜けることは無い事だと言える。


大手SIerがそれでもトンチンカンな手法にこだわるのは企業体が存続するに足るだけの
ビジネスモデルが成り立っているからで、開発が成功するかどうかよりも大事な要因であるからだ。


っとその昔自分は納得したことを思い出した。
ツマンネーから明日のご飯と引き換えにしなきゃいけない状況でなければヤラネー。