体制の中で飽きていく。
しがらみを絶ち、体制を変えてくしんどさに打ち勝つことを諦めてしまう。
とりあえず目の前の仕事さえしていればやいのやいのと言われることも少なくてすむ。


新しいコトを打ち立てるのにはパワーがいる。
年老いたカタブツどもの重い腰を動かす必要がある。
自分の仕事だけをよりよく変えていきたいだけだと言われる。
総括して物事を考えて行動しろと実力もないやつに言われたりもする。


そうこうしているうちに、
あんなに夢中になれたプログラム作りに重荷を感じてしまうようになった。
仕様調整と人員調整とに奔走されていてもなお組みたいと、
組めると思っていたことができない自分に打ちのめされるようになった。
最もやりたいことができなくなったと気づいた時、
体制も革新もどーでもよくなった。
プログラムなんて組まなくても生きていけると思ってしまった。
そして


それに慣れた。


出来の悪いプログラムでも世の中は動く。
オカネはここに入ってくるのだ。
それでえーやん。
人員調整を行い、仕様を調整すればプログラムは動くのだ。
人を増やせばそのうちの誰かができるのだ。
効率が悪いかどうかなんてのは関係ない。
動くかどうかもあまり重要ではない気がしてきた。
今ここにカネが入ってくるかどうかが大事なのだ。


今日も下々のものから要求がくる。
『人員が足りなくなりそうです。』
これに対してはこういうのだ。
「がんばりが足りん。」
残業してでも終わらせろ。
結果に興味はあるが、過程の苦労には興味はない。
それがしんどいのならばそれはお前等がわるいのだ。
『納期まで間に合いそうにありません』
「アホか。なんでおわらんのだ。スケジュール通りにいかんなんておかしいだろ」
一発かましておけば奴等は働くものだ。
そしてなんとかプログラムはできるだろう。
俺たちのころもそうやられていた。
こういうのがアタリマエなんだ。


今日も管理で日が終わる。
出来ないやつらの調整で日が終わる。
俺はやってきた。
俺はやれてきた。
今日出来ないのはやつらが無能だからだ。
きっとそうだ。
きっとそうだ。
きっと・・・・・・。




ってなやつには絶対にならん。
己が責任を回避し、我が身の不幸を嘆くだけの
クソヤロウには絶対にならん。
既存の体制と要求される能力と職種が希望と合わなければ変えればいいのだ。
変革は実績を持ってジジイどもを黙らせる所に妙がある。

おいらみたいな不器用さんは器用になんでもやろうとしても出来んけれども
できることから一個ずつやる。

とりあえず今はプログラマ一人の生産性がどこまで違うものかを知らしめることをやる。
だから当面。
一人のプログラマがほかのプログラマの生産性にどこまで関与できるのかを確かめたい。