プログラムは誰のために作るか。
そんなもんは決まっている。
使う人のためだ。


ただその性質上、使う人=作る人になったりするだけで、
お金を払う人=使う人ってだけでもない。
業務じゃもちろんユーザ本意になるのは言わずもがな。
その上で。
今回は業務に特化してみる。


業務アプリは発注あってのモノダネで、予算と期間とえてして人員までが決まっている。
その範囲の中で決めたものをつくるのが日常なのだが、
僕ら技術者は何も自分達がつくりたいものだけをつくりたいわけじゃーない。
お金もらって仕事しているんだから、オーダーに応えるのは当たり前だって意識はある。
その上で。


納期が決まっていて、世間で言われている手法じゃ応えることが出来ないと判断したときどうするか。
人員のレベルを見たら足手まといがたくさんいたらどうするか。
最も難しく、最も意義のない作業を優先させられる状況下ででもできることはなにか。


その全てに答えは出ているのになお悩み悶え苦しむのは、
オーダーに応えることそのものが頭にあるからだ。
出来ないと判断したらその場を去ればいい。
しかしそれではユーザの迷惑がでる。


ってところまで考えてしまうのが技術屋さん。
物知らぬユーザにあれこれ言われるのはわかる。
しかし、物知らぬ経営者とか営業に足をひっぱられてしまう。
お前ら会社的には味方ちゃうんかと言いたい気持ちを抑えてしまうのは
言ってもわからないとわかるから。
言ってわかるくらいならこんなにやきもきしないしな。
その上で。


一見どうしようもない状況に追い込まれることなんざ日常茶飯事で、
それでも自分達にできることはなんだろうと考えて、
テキトースケジュールとかテキトー予算の中でなんとかするために、
出来るようにするために自分達の日常を効率化すべくあれこれ悩み議論する。
その中で、
技量により意見はだいたい集約されていく。
技量より人柄によって意見が大きく変わるうちはまだ技量的には未熟とみていいと思っている。
やらなきゃいけない数少ない正解への道は、万人が理解できるのに実践もできるはずなのに、
なぜか選択されないところにある。
極めようとやっきになっているものたちは気づかないんだな。


でもその幾多数多と繰り返される同じことを止めようとは思わない。
意見なんざ違って当然で、言い方書き方でバトルして悩んで気づいて反復して人は成長するからだ。
ってことを通ってきた人たちだからこそ意見も許容力も似たものに落ち着いていく。


そしてようやく「どうしようもないことへの対処」が日常的にできるようになる。
これはオーダーに応えるためには必要な技能だと僕らは信じている。
これはユーザはもとより、物知らぬ経営者や営業たちにも有益な技能だと信じている。


たかがソースの書き方一つにやっきになるのも、
アジャイル目指してみるのも、
自己満足だけってわけじゃーないことを物知らぬ者達は知っておくべきだ。
なんて言ってみる。


技術力を持ったって、発揮する場がなければ持ち腐れ。
発揮する場ってのはビジネスの場が適している。
ビジネスってのは銭の問題は避けて通れない。
銭をある程度頭に描きつつもやれる範囲でやれることをやろうとする。
そんな心意気の結果、作るもの全てはやはりユーザのためって思うのが自然と感じるようになる。
とはいえ、情けは人のためならず。


ユーザのためってのと、自分のやりたいことが一致しているのが本人にとってはモチベーションとなる。
一致させたほうが技術者としては楽しみ増えるよね。
それでみんな幸せ感じれたらええことやんなんて青臭いことを思っている。


ゆえに。
泥臭い欲望混ぜられたら違和感を覚える。
予定調和が狂うとオーダーに応えることが難しくなる一方なのだからな。