便利さと苦労の経験とともにある

便利だからと様々なライブラリやツールをいきなり与えられても
その効用が理解できることは少ない。


もともとがどうだからこういうのが便利。


何もしないよりよりも手間が増えるこの手順の意味を解されなければ
便利を便利と感じてもらえない。
便利を不便と思われてしまうことすらある。
これでは意味がない。


便利さをみんながみんな実感できる方法がある。
手間のかかることを実際にやってもらうことだ。
不便さを実感すれば、不便が生み出す不満を解消してくれる手法に
魅力を感じることができるようになる。


いまさら言うまでもなく当たり前のことなのだけれども、
現状を改革してより楽に、より効率良く、より高品質を目指すおいらとしては、
現状に対応するツールを提供する際にいつも感じる壁なのだ。


おいらが感じた不便さをおいらが自分で解消し、
工数についても短縮できる手法をツール込みで確立することがたまにある。
しかしここに前提からして問題がある。
不便を不便と感じていない人が多いことだ
環境に応じて適応しちゃった人は、その工程にある不便さを解消する術をもたない。
適応してしまえれば不便は不便ではなくなる。必然の手順になるのだ。
それを変更すれば新たに適応しなおさなければならなくなることを思えば
そっちのほうが面倒くさいと感じるのは道理なのだ。


実感とした不満のないところを代えることは並大抵のしんどさではない。
実際おいらは、よく断念もしている。ヽ(;´ー`)ノ


しかし。
しかしである。
それをあえて超えねば全体効率の向上にはつながらない。


ツール*1を駆使して、今得た開発効率と品質。
初めて今の業務に入って作ったプログラムよりも高品質でかつ短期間で作成できている。
っということは、その手段を他の人達に提供できるのだ。
おいらが自分が考え実行する手順はそんなにむづかしいことではない。
実行すればするほどおいらの頭は使われないからアホになっていくくらい単純なことなのだ。


ここまで書いてみて気が付いたことがある。
手順と思考方法について。
おいらは相手のわからないことを言っているのではなく、
相手にとっても当たり前の当たり前すぎることを言っているから
かえって理解されないのだ。
そういえば
  (,,゜Д゜)<当たり前のことばっか言ってんじゃネーヨこのジジィ
って感じの表情していた。
Σ(゜д゜ )ハッ!

*1:専用アプリケーションや、テンプレートや、ライブラリも含めての意味。