技術者稼業は人商売

真新しい人材を導入する時。
どこで判断するか?
経歴書でも履歴書でもないことがある。
「よくできるあの人の進めだからこの新しい人を信じよう」
ってことがよくある。
もひとつ進んで、
「この新しい人ができなくてもよくできるあの人がケツをもってくれるから安心だ」
こういう裏まである。


コンピュータというデジタル信号の世界に生きる技術者稼業は
「クールでドライでかっこいい。」
っと信じる業界外の人たちも世の中にはいないではない。
そういう人たちからみると、
この口コミと信用というコネで人員登用される稼業だとは信じられないかもしれない。
が、しかし。
これは現実なのだ。


現代において、技術者の力量を第三者が測定するのは資格しかない。
しかして、資格が無い人が全員できない人たちばっかりかというと、
そんなことはない。
が、できる人ってのはいつの時代も小数派である。
「全体平均を取った場合、半数以上は平均未満だ。」
って言葉はどこで聞いたか忘れたけれども忘れられない言葉だったりする。*1
高位の技術者試験になればなるほど、「持っているけどできない人」
っていうような試験バカは少なくなる。
それを思えば「持ってないけどできる人」の存在確率よりは少なそうな気がしてくる。


っという視点を持てば、資格での人物判定もあながち間違いではないような気もする。
しかしてそれが万全な判定材料だろうか?っというとそんなことはない。
一番いいのは技術力と人物像也を自力で公正に判断できることなのだ。
そうでなければ、方式による判断失敗のリスクはまだまだ付きまとうことになる。



ではどうすれば自力で判断することのできない人たちが、
リスクを少なく、仕事ができる人を見つけるか?
見つけることができるか?
ってことが命題になる。


判断材料にできるものは資格と業務経歴。
一緒に仕事をしているのならば作業の成果も加えられる。


  (,,゜Д゜)<以上の情報をもって人物評価せよ


自分で判断する場合、判断できる資格情報に流れるのは必至であり、
また自分で判断できない場合は、判断できるほかの人の意見にすがりたくなるのは必然である。


こうして、既存のより「判断のできる人」に依存する土壌が出来、
すでに成果を残している技術者の判断に重きをおくようになる観点が育まれ、
人から人へ、その判断材料を求めつづけていく流れになっていく。
自分が知らない誰かを判断するよりは、
自分の知っている人が進めてくれた誰かが推してくれたその人を信じるほうが楽なのである。
なにかあった場合に責任を転嫁できるのである。


こうして「コネ」のチカラが大きくなっていく。
技術力があれども世渡りが出来ないと発揮する場所がないことってことが起きるのだ。
逆に技術力は無くとも世渡りさえできれば「技術者」として偽ることもできる。
忙しい仕事になればなるほどやっつけ仕事もできない輩が増えていたのも
そこらへんに原因があるのだろう。


技術だけの話であれば起こらない現象である。
口先で中身が無くとも何とかなるのは人商売ゆえ〜だからである。

人は城、人は石垣、人は堀
  情は味方、仇は敵なり。

        武田信玄

コネにすがり目先を追えば騙る事はできる。
虚構を築くこともできる。
しかし、中身が伴わなければたやすく崩れる。
技術者たるもの、中身の強化に努めたいものである。( ・ω・)ノ

*1:統計学の話で聞いたような気もしないことも無い。ヽ(´ー`)ノ