世の中の多くの人々が共有している知識がある。
世の中の多くの人々が共有している感覚がある。


それでもそれが実行できるかどうかはコトによる。


だってほれ。
30cm物差ししかない状況で2mの直線が引ける人間がどれほどいるというのだ?
物差しがあれば直線がひけるのは常識だし、
2mの直線が引けるということも不可能じゃない感覚は多くの人々が感じれることだ。


たとえばほれ。
ハトの絵を描こうと思ったときに。
ハトを知らないってこたーないし、
絶対掛けないなんて思わないよな?


でも正確な描写が出来るかどうかは個体差があるんだ。
この例なら個体差がでることはおそらく万人が知覚できることなんだ。


しかして目に見えないプログラムの話はそうはいかない。


僕たちに理解できそうな事柄だからって、
よくあるジョーシキ的なことだからって
それが出来ないはずが無いって思われるよね。
コピーとれば原本と瓜二つな見栄えが得られるのに価値が伴わない絵のようには考えられないんだって実感するのは渦中にある人のみだ。

作れる人は限られている。
でも作れるかどうかはさておいて「作れる」って事実だけ信じていろんなことを望んでおしつけてくるのがいる。
これだけ見れば「限定された供給は全ての需要を満たすことなど無い」って思えるのに、
現実はそんなことばかりではないんだな。


仮定と予測と途中経過が一致していようと、そうでない結果を予測しようと
難儀なのはいつも現実だ。


よっぱらいながら思うこんな不安定な言葉が、
より的確に現実を捉えているかと思うと
理知的そうに語る全ての者の言葉が疑わしく感じてくるって感情には納得できる気がする。


自分はもともと感覚的なことに素直に従える人間。
仕事柄理知的なコトを考えることに慣れただけで、
常識と現実には突拍子もないコトと思われないことをもって対処できるってのは後天的に得た技能だと思っている。
そんな感覚が今のIT業界ってか日本のビジネス状況になにかしっくりいかないことを感じていると言っている。
だいぶ前から。


今。

いろんな言葉を覚えただけで、あの頃も今もかわんねーなと思う感覚がここにある。


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感覚的なことを文章にしてみて、思う感想。
我ながら冷静に振り返っても、わかんない人には心の底からわからんだろうなと思う表現だと思う。


だけれども。
否定してしまう人がいるのは理解できるし、納得もするけれど、
そんな浅瀬で否定スンナ!!!って感覚もあるのよね。


境界線とか程度とか理解できないと会話って難しいなって
まとめ以外にまとめる術を知らない自分にも気がついたところで
感覚って難儀だなってまとめにしたいと思った。


ダッシュでニゲロ!!!!