毎日決められた時間の中で精一杯働く。
計画を立て、毎日予定と実績の調整を行いながら日々を送る。


こんな実に真っ当な作業のしかたが
どれほどぼくらの仕事に合わないことか。


気持ちを乗せて一気にやり遂げる。
計画をなんとなく立て、遅れ過ぎないように調整しながら日々をサボる。


これでなんとかなっていたころと、
日々の調整しているころとの差ってあるのかと聞かれたら僕は悩む。


僕の中にはいつも今の業態に対する疑問がある。
(,,゚Д゚)<少数精鋭でやったほうが迅速かつ安全確実やん。
という気持ちと
(,,゚Д゚)<その他大勢を養っていかねばならんのだよ
というわからんでもない現実的な概念と
折り合いをつけるのは結構なことなんだが、
ネコも杓子も一緒くたって状況であることだけはおかしくね?
っという感想ゆえに。


その昔は、出来るようになったら変わるのかななんて思ってた。
ちょっと出来るようになった頃には折り合いをつける感情ももたなあかんと思い直した。
どんな案件でどんな状況であれ、何をどうしたらどうなるって見える今。
やっぱり一抹の歯がゆさを世の仕組みに感じる。
ただ走りたいだけなのに、何かと理由と足枷つけられて全力も出せない状況におかれる感じ。
コースには従うし、他の競技者を蹴飛ばしたらだめとかそーゆールールにゃ従うっていってんのにこれだってって思える気持ち。
いっそこんな仕事やってらんねーって気持ちも分からんでもない。


もし。
技術力の評価制度が出来て、ある一定の規模の開発に従事できるレベルはこうみたいなことになったなら。
僕はその中で脱落してもいいと思う。
なんのかんのと理由をつけて救われるのは耐え難い何かがあるからだ。
とーぜん脱落する気も負けっぱなしでいる気も無いのだが、
なんかこう、分かりやすい制度があれば話が早いやん?


話が分かりにくいことで成り立つ制度ならそんなものは消えてしまえと思う自分がある。


あ。
ようやく簡潔な言葉を得られた気になってきた。


そうだ。そうだよ。
やることもわからず、やる内容もしらないのに人員集めを行えるやつらはある意味すごい。
だからってそれがプラスに働くこともあるかもしれないが、
マイナスに働いたときにわざわざその負の遺産を背負い込む必要なんてないのだ。
この路線において、技術者は流動的であるほうが望ましいのだ。
よくわからん状況のまま、自分の特性生かせない場所にほうりこまれて、
自分もそこの場も微妙なことになることが少なくなるのだ。


っと自分が昔と変わらんことを抱いていたことをしみじみ実感。
今の自分の特性は「開発作業」に生かされる。
それ以外なら人並みでしかない。
それがはがゆいと気づいた今日この頃。


さて。
意識を変えるか職場を替えるか変えるか。