100の作業があったとしよう。
毎日こつこつ1ずつこなすことができれば、100日後には終わる。
毎日10ずつやれたとしても、3日に一度3〜40の作業が増えれば100日たっても終わらない。
(,,゚Д゚)<おまいはどれだけできるんだ?
    それならそれに合わせて作業を振ろう。
    僕らの目的はプロジェクトの完遂だ。
    みんなが平等に作業をこなしておわるならそうするが、
    そんなことにはならないのが実情だ。
    やれるのが1でも10でも0.5でもいい。
    確実に消化できるのならばそれに合わせて
    プロジェクトが終わるように動くのが僕の仕事だ。*1


ひとつの仕事への当り方として。
考えるべき時にとことん考えて、
考えない時には徹底的に考えない。
やってダメならやり方を見直して次に生かすのだ。


ひとつのダメパターンとして。
考えるべきときに抜け道にすがり、
考えない時に思いついたように考える。
やってダメでもなんとかなるさと気軽に考えて次にまわす。


結局、「今」を何とかしのげば何とかなるだろうって幻想にすがって、
仕事を後回しにし続けるんだな。
肝心要のことを理解しないから重要性にも気づかない。
簡単にできるかそうでないかで仕事を判断するから、
簡単で重要な作業をこなさずに
難解でどうでもいい作業に魅力を感じるんだろ。


仕事は積み重ねると終わりにたどり着くもんだが、
積み重ねることがなければ何もしていないに等しい。
そして積んだものを崩すことは仕事を増やすことである。
ボクがかつて聞いた「厳しいビジネスの場」ってやつでは崩すものたちに未来はないはずなのだが、
現実には未来が無いのは積み重ねるのに躍起になっている真っ当なほうのが多い気がするこの業界。


仕事を増やすタイプと
仕事をこなすタイプと
二つに分けたとき、
実務能力以外の日常的なコトにも差があることに気がついた。
たとえばこんな質問に答えることが出来ない。
(,,゚Д゚)<○○の件ですが、どうなりました?
(;´Д`)<いえ〜あの〜こんなことがあんなことになりまして〜・・・・・・


たとえばこんなYes/Noな質問にも、Yes/No以外の答え方をする。
(,,゚Д゚)<○○の件の△△のことだけど、できた?できてない?
(;´Д`)<いえ〜あの〜ちょっとは出来てるんですけど〜・・・・・・


出来ていようと出来ていなかろうと、
事実がそこにあれば手を打つことができる。
個人の優劣だけでは計れない何かがそこにあった場合、
個人の資質にだけ依存しても解決しないってこともある。
そんなことにハマってほしくはないし、致命的な状況にさえなければ、
今出来なくても次がんばれって言えるんだ。


単純な質問のYES or NO。
せめてこれだけ正直に答えてくれ。
ってお願いしなきゃ帰ってこないか、あっさり帰ってくるか。
増やすやつらはこーゆーところでも時間を必要とさせるから、ますます仕事が終わらない。

[あと余談]

そうならないのは、時間的な余裕を自ら潰しているんだよ。
きっとおそらく「出来ない自分」ってのを披露することになるのが嫌なのだろう。
質問に明瞭に答えられないことそのものが「出来ない自分」アピールなんだってことに気づくまでは続くのだろう。


頭に描いた「カッコイイオレ」像を遂行できなきゃ出来るようになるためにはってのを考えたらいい。
考えて試して見直して、苦労して遵守するポイント、サボって大丈夫なポイントを
ココロに叩き込んで焼き付けて、最小の手数で手順でミッションを遂行出来るようになればいい。
夢だけ見て、現実は出来ないからってふて腐れるのは、時間に余裕があるときにやればいい。


PDCAサイクルの個人レベル活用が役に立つならそれをやる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PDCA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB
膨大な試行錯誤の上に積み重ねられることには
「気付き」ってのもある。
今までやり続けてきたことの中で「ああ!そうか!!このためか!!!」って再認識の学習効果がある。
こういうの続けると「やるべき道」が見えてくる。
すべての作業、すべての経験は無駄じゃない。
答えは身近なところにあっても、それに気付けるかどうかは積み重ねっていう経験値だ。


ただ、現実問題、生かすかどうかは心意気次第なんだな。
ココロが折れたら知力体力時の運すべてが無駄になるんだがな。
もったいない。

*1:マイナスならばゼロにするのが現実的だとおいらは思っている