言語が何かであるかは最終形を想像する材料でしかない。
ロジックを構築する作業では論理性が失われないよう腐心するのだが、
この結果作られるソースの形式は、
言語が変わったからといって劇的に変化する性質のものではない。


プログラムを作る作業において、
「言語が何か」であるのは知っていたほうがいい情報であり、
「言語が何か」であるかを知らなかったからといって、
プログラムを構築できないっという事象には辿り着かない。


言語が何であろうが、プログラムを作る時の
ロジックに大差はないのだ。


これを踏まえると。
誰かのソースを見たときに、ロジックを見るようになる。
「なぜこのようなソースに至ったか」を見るようになる。
その結果必然として引き起こされるバグフィックス作業や、
デバッグ作業を想像することになる。
事前に必然を予想できるということである。


バカなソースっていわれるものは、
言語特性を生かしたコードを使っていないものではない。
ロジックがおかしいもののことを指す。


ロジックを構築する際に考えた自身の業務知識やシステムの知識。
コードを構築する際にもっているプログラム知識やソース規約。
その他、自身が効率よいとおもうこと、
自身が作りやすいと考えること、
自身が「こうあるべき」と憧れる姿、
これらを混ぜ合わせた結果、今のコードが生み出される。
生み出された結果にそれら要因の矛盾が含まれる。