否定やさんは楽だな〜と思う。
目の前にある言葉を否定しさえすればよいのだから。


タチの悪い大きな例では韓国の政府やメディアの歴史問題がある。
朝日新聞が焚き付けて中共+朝鮮が乗っかり、言いがかりに次ぐ言いがかりのうえに証明がない。
証明がないだけならまだしも証明されてもなお続けるあの根性。
自分で詳しく調べたわけではないけれども、嘘つきはどっちかってのは見てりゃ解かる。


この件に学ぶべきことがある。
証拠をまとめて論理的に筋道立てて反論するのには非常におおきな労力が必要である。
否定するのは1瞬だ。
(..゜Д゜)<イヤ
ってだけ言えればいい。武力や質草をタネに駄々こねればいい。
さらには揚げ足とって騒げばうやむやにできる。
この必要とされるコストの差である。
否定するのに必要なコストはそうでないことに必要なコストよりも安く済む点である。
手軽な達成感を味わうにはうってつけの点と言えるだろう。


同業者にもいる。
否定のみに生きる輩。
否定することに生きがいを見出している輩。
否定の先になにがある。
否定の先に真っ当な理由があるならそれは良いことだが、
理由のない否定は話をしていてもおもしろくもなんともない。
新しい知識にもならない。
もちろん組織集団の利益にも適わない。


(..゜Д゜)<んで?どうしたいねん。


ぶっきらぼうに言ってみると如実に解かりやすくなる。
否定やさんはここで止まる。
止まるというよりは個人攻撃に変わる。
やれ話のわからないやつだの
やれ女にもてないやつだの
やれ流行に疎いだの
今までの話と全く関係のないことで攻めを継続しようとする。
反面、
自身を持って意見しようとする人達は、
次のプランを述べる。
理路整然と受け答えできる人もいれば
妄想の範疇を出ない意見ものもある。
けれどもそこには先がある。
両者に共通するのは否定の先にあるものなのだ。*1
こういう言葉は両方とも楽しい。新しい知識にも会えれば夢の形も見えてくる。


ゆえに。
反面教師。
オレはやらない。否定だけしたくてもちっちゃいネタにする以外はやらない。

*1:上記は現実に近いかどうかだけ。