コメント記述は随時

常日頃から緑化推進運動を推進中。*1


(..゜Д゜)<砂漠のようなソース書いてるやつはいねーがー
見かけたら強制的に修正です。
緑を増やすのです。


コメントを書かないやつが言う言い訳のTOPは
( ´Д`)/先生! 後から入れようと思ってました
です。
その後ソースの全てにコメントが入れられた例など稀有です。
少なくともおいらの記憶にゃないので出会ったことはありません。


なぜそうなるのか?


後になれば時間がなくなるのです。
期限が刻一刻と迫るけれども、できると思っていたはずのプログラムが出来ないのです。
期限に追われ、管理者にせっつかれている状況において、
悠長にコメントなどかけるでしょうか?
否。書けるわきゃありません。


ちなみにおいらはそんな状況にいる輩にも同じ事を言います。
(..゜Д゜)<コメントつけろ。
それに対して、10人中10人がスケジュールを言い訳にします。
( ´Д`)/先生! そんな暇はありません。
なんでこんな状況にいるのでしょうか?
手順にミスはないのでしょうか?
プログラム作成が遅い理由はどこにあるのでしょうか?


プログラムコードの見直し
これに時間をとってはいませんか?
今、確認した部分。最初に作ってから何回目ですか?
日が変わる度、休憩する度に再度確認していませんか?
毎回その複雑なコードとにらめっこしていたりしませんか?
頭を悩ませてはいませんか?
10回確認する時間と、3回くらいの確認+コメントを書く時間とどっちが短くてすみそうですか?
他人の書いたクサレコードも自分が作った砂漠も同じです。
確認作業に時間をとられてしまうもの。
対処の答えは簡単なところにあるのです。


おいらが火消し作業に従事する時もそうですが、
忙しいからこそ、時間がないからこそ、今目の前にある砂漠のようなコードに緑を植えるのです。
少なくとも次回から、把握にかかる時間は激減します。
コードはそのままに、日本語の文字でやってることの確認が取れるからです。
把握にかかる時間が少なくてすめば、自分の脳内リソースの消費も少なくてすみます。
余力をほかの部分の把握に割り振れます。
そうすれば把握できている範囲は広くなるのです。
認知している範囲が広ければ、出火元を発見しやすくなります。
バグ探知が早くなる。シンプルなロジックです。


それをやらずにがんばろうとする。
がんばった結果、出来てない。
おいらたちの仕事はがんばることではありません。
出来ていなければ成果ゼロです。
(..゜Д゜)<あえて言おう。無駄な努力であるとッ


努力を無駄にしないためには
努力の方向を間違えないことです。
今回の場合なら、真っ当なコメントをつけていくことです。
何をするのか?何をここではしたいのか?など仕様的なことを含んだコメントであるのが望ましく、
ソースコードみたまんまのコメントだけならそれは砂漠にゴミが散らかっているようなものです。
意味のない緑に価値などありません。
価値のない緑は「緑化」とは言えません。


それらを踏まえて。


ソースコードの緑化を推進していくのです。
砂漠や荒野のようなソースとはおさらばするのです。
砂漠に緑の芽が出てきたらそれはやっぱりうれしいことと感じるのです。( ´∀`)


だからコメントは随時書け( ・ω・)oビシッ
あとからとかゆーな( ・ω・)oビシシッ


余談。
技術的な挑戦という場合がある。
(´-`).。oO(こんなことこの言語でできるのかな)
ってな事。
独りで挑んでいる場合にはこの限りではありません。
目的はまず「可能かどうか」であり、不可能であった場合、そもそもこのコードは破棄されるからです。
破棄されるものに懇切丁寧なコメントなど不要です。
そして、実験が成功した後。
改めて作り直せば美しいものに仕上がることを思えばコメントはその時につけられるはず。
つけられなかった場合には。
その時は、おいらの緑化推進運動の餌食になることでしょう。うひっ。

*1:おいらの環境ではコメント文は緑色です。