デスマーチを歩む人たちは、目先の仕事をこなすのが最優先課題と刷り込まれている。
納品作業や履歴管理作業、データ作りからソース作りまで。
自動化されている個所も少なくはないかもしれないが、
傍から見ていると手作業がやはり多い。


隣の部屋でくつろくおいらにはその手作業を減らす道具があることがある。
手作業での作業量を10とするならツールを使えば3くらいになるとしよう。
でもツールの使い方を覚えたり、今までなんとか継続してきた習慣や手順を替えたり
する時間が必要になる。
これは絶対にゼロにはならない。
仮にこの学習時間にかかる手間を2としよう。
例えば7日間。学習しつづけることができれば次から3になれるとしよう。
なにもしなければ 7日間 × 10の作業量 = 70の作業量 やらなければならないが、
新たなる方法を得ようと努力するなら、こうなる。
最初の7日間は 7日間 × (10の作業量+2の実践学習)= 84の作業量 で少し増える。
がしかし、
以降は例えば  7日間 × 3の作業量 = 21の作業量 となる。
これが通常業務となれば、実に従来の5日間分の作業量が軽減されることになる。
増加分の作業量の14のモトは十二分にとれている。
こういうのをひとつひとつの自動化できる作業に対して施していけば、
今と同じだけ成果を残しながらも時間拘束は少なくできる。
つまりそれだけ睡眠時間が増えることになるっちゅーことだ。


しかし。
だがしかし。
そーはいかないのがデスマーチ行進者。


その学習時間を「惜しい」の一言でそっちのけにするのである。
(n´Д`)η<「そんなんやってる暇あったらもっとやることが〜〜」
(n´Д`)η<「そんな暇どこにあるというんですかー」
ってなことはおいらも言った記憶がある。
ゆえに言いたいことはよくわかる。
暇はなかったら作れ。
学習時間がないなら捻出するのだ。
管理者を巻き込んでもいい。いや、騙してでもいい。
大事なのは過酷な状況を終わらせることであり、
手順を踏まえつづけることではない。
今更手順にこだわっても状況は変わらない。
っつかいまさら遅せぇ!!!!
どーせ忙しいのだ。
今更少々増えたところでしんどいのにかわりはあるまい?
それなら未来が明るく見える行動をとるのがいいとは思いませんか?
おいらはそう思いました( ・ω・)ノォゥ。


閑話休題


効率化の壁はこのようにキワキワの人たちの言葉からわかるように、
初期段階での効率の低下にある。
学習期間という、同じ時間働いても、従来の成果ほどだせない期間が存在するとことにある。
これをどう受け止められるか?
先を見据えて、学習時間をとる人は後に強くなれる。
  今までしんどかったことも、楽にこなせるようになるかもしれない。
今に流される人は未来もきっと大差ない。
  思うように進まない作業に怨念を抱きながらすごさなければならないかもしれない。


壁は後の自分をとるか、今の自分をとるかによって変わるものでありそうだ。